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阪神大震災から10年 [DIARY]

阪神大震災から10年たちました。

当時、大学生だった私は、大阪府の北西側、兵庫との県境のあたりの豊中市に住んでいました。

修士論文の仕上げの最中で、その日は朝方まで大学で修士論文を書き、せめてベッドで寝ようと4時前くらいに帰宅しました。

なぜか寝付けなくて、録画したビデオを見ていました。半分うとうとしていた頃、横揺れを感じました。私はのんきに「大阪にしては結構ゆれるな。」と、思いつつも、ゆれがなかなか止まらないので不安になり、立ち上がって左右のスピーカーを押さえました。

そこに、突然、体験したことのない、強烈なたて揺れが襲ってきました。気のせいだったのかもしれませんが、建物がひずんだような感覚も受けました。うとうとしていたこともあり、夢と現実の境目にいるような感じでした。悪い夢なら覚めてくれ!と、思いながら、頭の片隅で、これが現実であることを認識していました。

20kgくらい有るスピーカーを左右片手ずつ支えながら、ゆれにあわせてスタンドから下に軟着陸させました。そこに、目の前のTVが倒れこんできました。さすがに、TVを支える余裕はありません。

本棚が倒れ、部屋中に本が散乱しました。本棚が倒れた先はベッドの枕のあたりだったので、もし、私が寝ていたら、大怪我をしていたかもしれません。すぐに電気が停電しあたりがまっくらになりました。

余震を恐れて、私は上着を羽織り、外に出ました。

私が住んでいたのは、当時、築20年くらいの粗末な2階建てのアパートでした。お風呂の種火が外にあるタイプなので、火災が起きては大変と、つきっぱなしの種火を消して回りました。普段、周りの部屋との交流はありませんが、左右の部屋の住人にだけは声をかけました。

多くの人が外で様子を伺っていました。周りは、まだ電気が回復していなく、真っ暗でした。6時くらいになって外が明るくなってきたので、いったん部屋にもどり、実家に電話しました。幸い、電話はすぐにつながりました。

大地震があったけど、無事であることを伝えました。おそらく、今後電話回線が混乱するだろうけれども、私は無事だから心配するなと。親は、早朝に電話でたたき起こされて、不思議そうにしていました。

(続く?)


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